再び「沈黙の町で」といじめについて考える  ~いつもと違うのだめもどき~

              

今朝の朝刊で1年以上の長期に亘った「沈黙の町で」の連載が終わった。

複数の視点から見た「いじめられていた中学生の死」。
字数制限のある新聞連載、という制約の中で、作者である奥田英郎氏には描ききれなかった部分があるだろう。
小説の中でいじめられていた少年はどうやら事故死したようだが・・・。
単行本化される際はもっと突っ込んだ表現になるかもしれない。

それにしても・・・。
報道されている大津のいじめ事件とこの小説とはなんと類似していることか。
大津の被害少年が自ら死を選ぶより前から連載が始まっていたわけだが、まるで現実が小説にリンクしたようなタイミングにぞっとする。
実際の大津のいじめ事件は、ネットなどで得る情報が事実であれば(すべてを鵜呑みにするのは非常に危険であるが)、小説以上に陰湿かつ陰惨なことが行われており、本当に暗澹とした気持ちになる。

さて・・・私に二人の幼馴染がいる。
仮にA子、B子としよう。

A子は大変勉強とスポーツができ、いわゆる優等生であった。
当時住んでいた自治体から「優秀生徒」として表彰されたほどだ。
ただし、芸術的センスはなく、音楽と美術はどんなにがんばっても5段階評価の3しか取れなかった。

一方、B子は勉強・スポーツは苦手だが、音楽と美術は大変優れた能力を持っていた。
私が即興で歌った歌にその場でピアノ伴奏をつけられる絶対音感と音楽的センス、高校から美術科への進学を担任に進められるほどの美的センスを持ち合わせていた。

A子は愛想もよく、大人受けする生徒であったが・・・裏の顔を持っていた。
気に入らない同級生などを、手下(?)を使っていじめていたのである。
決して、自分の手は汚さない。
そのくせ、先生に「いじめはよくないと思います」などと、ぬけぬけと言っていた。
私が物事をシニカルにみるようになったのは、A子のこの2面性を思春期に目の当たりにしていたからでもある。
B子はA子の格好の標的になっていた。
「音楽や美術ができても進学には役立たないし、生活の足しにもならないし~」などと言って散々いじめやからかいの対象にしていた。
このままではB子の中学生活は真っ暗であったが、隣の中学の学区に家を建てて引っ越すことが決まり、B子はA子から解放された。

やがて年月がすぎ、高校を卒業する頃になった。

B子は相変わらず勉強に苦労したが、家庭教師の協力もあり、幼稚園の先生を養成する短大に進学した。
現在では、音楽と美術の才能を幼稚園の先生としてフルに発揮しつつ、園児に大人気の先生となっている。

一方、A子は国立の教育大に進学し中学か高校の社会科の教師になる、と言っていたが現役・一浪と2年連続で入試に失敗した。
一浪は仮面浪人で某短大の夜間部に籍を置きつつの受験で、国立の教育大には失敗したが女子大には合格した。しかしその女子大には進学せず、父親のコネでとある企業に進学した。
4年制大学で教職課程を取れば教員免許は教育大に行かなくとも取得できるはずであるが、A子はそうしなかった。
恐らく、「難関の国立大に合格して教員」という肩書きが欲しかったのであろう。
結局、かっての同級生たちに自分の最終学歴がバレないようにひたすら隠し、教職につくことはなく生きている。

人が幸せか不幸せかなど、他人がどうこう言う問題では本来ないが、幸せな人生を送っているのはA子・B子のどちらだろうか?
私には、自分の得意分野を活かして人生を過ごしているB子の方が遥かに幸せだ、と思える。

今現在、いじめに苦しんでいる子やその子の親御さんたちへ。
中学の3年間など、その時代の真っ只中は果てしなく長く感じられたとしても、長い一生の間のほんの一瞬に過ぎない。
中学生にとって世界は中学校の中だけのように思えるが、閉じられた特殊な狭い時間・空間なのだ。
一歩そこを出ればもっと広い世界が広がっている。
もっといろいろな属性を持った人達がいる。
閉じられた空間でヒーロー・ヒロインであっても一歩外に出ればA子のようにただの人、となることはよくあることだ。
辛いなら、無理して学校に行くな。環境を変えることは決して逃げではない。
安易に死を選ぶな。生きろ。

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