映画「メモリーズ・コーナー」に見た文化の違い ~いつもと違うのだめもどき~

              

*ネタバレ含みます。未見の方はご注意ください!

王様のブランチでオドレイ・フーシェ監督のインタビューを聞き、「フランス人は幽霊を信じない」という発言にちょっとびっくりした私。
同じ西ヨーロッパ人でも、ドーバー海峡を超えたイギリスでは幽霊の存在は信じられているので、随分違うんだな・・・と驚いた。

「メモリーズ・コーナー」は阪神淡路大震災と孤独死をモチーフに、「愛」をテーマにした映画である。

映画の冒頭、復興住宅で孤独死した人が発見され、収容される。
阪神淡路大震災から15年を経た年、各国のジャーナリストがそれぞれの取材テーマを模索しつつ来日し、神戸にやってくる。
ひとりひとりに専属の通訳が付く。フランス人女性ジャーナリストのアダには西島秀俊扮する岡部がつく。
彼らは被災者の取材をするため、復興住宅を訪れそこで阿部寛扮する石田に出会う。
石田はアダに「なぜ地震が起きるか知っているか?」と尋ねる。

岡部は石田に異様なものを感じるが、アダは石田に強い興味を抱き、惹かれていく。
そんなアダを心配し、忠告する岡部。
実は岡部には心霊体験があり、石田が既にこの世の者でないことを悟り、アダに「亡霊に魅入られることの危険性」を忠告をしていたのだが、この記事の冒頭に書いたように幽霊を信じないフランス人であるアダはその忠告に耳を貸さず、石田との接触を続ける。
そんなアダも、六甲山の山頂で会話を交わしていた石田が眼前から消えたことで、石田が既にこの世の者でないことをようやく受け入れ、岡部の誘いで震源地であり、岡部の実家のある淡路島に赴く。
そこに石田が現れ、アダに「あなたにこれを見せたかった」と、ある光景を見せる・・・。
それこそが、「メモリーズ・コーナー」。

死者(亡霊)が愛を最後に残す、というロマンティックな考え方に、幽霊を信じないフランス人の女性監督らしい作品だな・・・と思う。

石田は自分がこの世の者でないことを自覚していながら、アダの前に現れる。

来日前に、自殺未遂をしたアダを心配して現れたのか・・・?
それとも、同じジャーナリストであるアダに「メモリーズ・コーナー」を見せたいがために・・・?

オカルトチックなことを書くと、私は霊感持ちなので、亡くなったことに気づかず死後もさまよう亡霊の描き方としてはM・ナイト・シャラマン監督の「シックス・センス」の描き方の方が私自身の体験してしまったものに近いと言える。
往々にして、亡霊はこの世に未練や執着を残し、この世をさまよい、時には生者に仇をなすものとなる・・・。
この死者の表現の違いは東洋人と西洋人の文化・死者に対する考え方の違いの現れなのだろう。

事前に予想したとおり、震災の映像は今でも観ていて辛かったけれど・・・。
六本木で上映されている間に、もう一度観に行こう、と素直に思う、しみじみとした味わいの映画だった。

ただ・・・。
兵庫県に本籍地を持ち、身内が何人も阪神淡路大震災で被災している私個人の考えだけれど・・・。

断層に悲しい思い出を持ち込むのではなく・・・。

もう二度とあんな恐ろしい大地震が起きないよう、阪神淡路大震災の犠牲者が、愛されたり大切にされたりした記憶を、断層を鎮めるために持ち込んでいるという「メモリーズ・コーナー」にしてほしかったな、と思う・・・。