20年 年月経ても 傷癒えず・・・。

              

無事、手術を終えて帰宅。
どんな視界が待受けているか、と思っていたら・・・。
とりあえず、遠くも近くも、不自由なく見える状態。
でも、まだ少し不安定な感じ。
それでも、手術前より、遥かにキレイな青空が見えて、感動~~~!
傷口が塞がるのに1週間程度、視力が安定するまでに1ヶ月程度。
状態が安定するのには、そのくらい時間がかかる、と言われている。
良い状態で安定して欲し~い。
続きを読む前に愛ある応援ポチッとな♪
にほんブログ村 小遣いブログ ネットビジネス起業・独立へ
にほんブログ村

さて・・・。

キレイな青空を見上げながら、あの日から今日で20年、と思う。

子供の頃から見慣れていた街の、無残に変わり果てた姿。

崩壊した、高速道路。

火の海と化した、海辺の町。

拝殿が完全に崩れた、生田神社。

テレビの映像に映し出された、このむごたらしい光景の街は・・・。
本当に、私が見知っている、神戸なのか。

呆然としながら、神戸のおじに電話する。
つながらない。

西宮の親戚宅も、連絡が取れない。

そうしているあいだにも、テレビのニュースは、
神戸の惨状を伝え続ける。
焦燥が、どんどん募っていく。
不安が、どんどん増していく。

ただただ、呆然として、何もできなかったあの日の私。

結局、おじと連絡が取れたのは、震災から1週間以上経った頃。
おじから、
「今、NTTの仮説電話からかけてるんや」と、電話があってやっと取れた連絡。
こちらから、連絡が取れるようになったのは、それからだいぶ経ってから。

がれきと化した家屋の下敷きになり、救助を求めながらも、
家族を先に逃し、炎にのまれていった人も。

救助活動を妨げた理由のヒトツは、上空を何台もで飛んだ、マスコミの取材ヘリ。
なぜ、代表1社だけに絞らなかったのだろう。
ヘリコプターの爆音が、救助を求める声をかき消す、ということさえ、
想像がつかなかったのやろうか・・・。

阪神淡路大震災は、マスコミが被害を拡大した、人災。
そういう一面もある。
それを思うとき、今でも怒りがフツフツと湧いてくる。

 

あれから、もう20年。

神戸では、人口の40%(だっけか)が、震災を知らないヒトになった。

去年の秋、我が家の大きな子供(夫とも言う)と、久しぶりに訪れた神戸。

20年前にあんな未曾有の大災害があった、とは一見してわからない街並。

20年。

あの年生まれた子供が、成人する年月。

その20年の間に、神戸のおじは旅立ち、
西宮のおばも旅立ち、
若年性とは言え、私も両目とも白内障を患い、
手術をした。

それだけの、変化があって当然の、長い時間。

それでも、あの日、家族・友人・知人を失った人たちにとっては、
今でもまるで昨日のできごとのように感じる、
あっという間の時間だったのでは、と思う。

キレイな青空を見上げながら、神戸を思う。
あの震災で亡くなった親戚はいないけれど、
あの日のことは、一生、引きずっていく。
マスコミに対する、怒りとともに。


人気ブログランキングへ