今日は、あの日から21年目の日。
決して忘れてはならない日。
人それぞれに、あの日への思いは異なる。
つらいから、悲しいから、苦しいから、もう思い出すのもイヤだから・・・。
その思いは、人それぞれ。
今日、神戸新聞は「あの日を知らないことは、幸福か」と問うた。
つらくても、悲しくても、苦しくても、それでも、あの日を忘れてはいけない。
地震大国に生きる日本人は、あの日起きたことを、忘れてはならないし、
何が起きたのか、自分のできる範囲で、知らなければならない、と思う。
あの未曾有な大地震に匹敵する脅威が、いつなんどき自分の身に降りかかるかもしれないし、
決して目をそむけてはならない、と思う。
神戸新聞の問いに対し、語れ、語れ、ということは果たしていいことなのか、
という問いも見かけた。
つらいから思い出したくないのなら、無理に語ることはない。
それでも、「はなす」・・・「話す」ことは、「放す」ことにつながる。
いつか、つらい思いを誰かに聞いてほしい、吐き出したい、と思ったら、そうしてください。
胸に抱えたつらい、苦しいものを、話すことで放し、少しだけ心を軽くして、
新しい明日を迎えてください。
そうしたくないのなら、しないでもいい、と思う。
あの日への思いは人さまざま。
語り継ぐことは大きな意味がある。
同時に、語りたくない人を、そっとしておくのも、大切なこと。
どうすべき、という正解はない、と思う。
ただ・・・。
あの日を、決して忘れない。
忘れてはならない。