とりせどさんのブログに、「つまらない会社の行事「不参加、行きたくない、面倒」を解決するために辿りついた2つの結論」という記事がアップされていて、と~っても感銘を受けました、わたくしめ。
興味のある人はゼヒ・・・というか、絶対読みませう。
で、この記事を読んで思ったことを、今日は記事に書いてみます。
それは「協調性」という言葉についての、わたくしめの考え、でもありまする。
わたくしめは、「協調性」というのは・・・本来、お互いの考えや能力の違いなどを認め合い、意見を戦わせるべきときは戦わせ、その上で力を合わせて協同で何かを成し遂げていくための、「大人な考えに基づいた態度」のことではないか、と常々思っているのでございます。
しかし、ここ日本では多くの場合、そうではないような。
職場などでは、上司や先輩が「右向け」と言ったら右を向き、「左向け」と言われたら左を向く。
例え、その指示を腹の底では「おかしい」と思っていても、顔や態度には決して出さず、おとなしく言うことを受け入れる。
行きたくない、と思っても職場の飲み会・行事には渋々参加して、笑顔でその場を取り繕って却ってストレスを溜め込む。
逆らったり、反論したり、行きたくないと断ったりしたら、職場に波風が立ち、「協調性のないヤツ」とレッテルを貼られる。
日本の職場での「協調性」は、多くの場合「波風を立てないこと」とイコール、なのでは?
だとしたら・・・残念ながらレベルの低い協調性、ですね・・・。
思うに・・・。
アメリカの高校のようにディベイトの訓練を日本の教育では行っていないので、自分の意見を否定されると、まるで人格そのものまで否定されたかのような過剰反応を日本人がしやすいことと、中学くらいから経験する部活の上下関係で、先輩の言うことは絶対、のような文化が形成されていくんでしょうね・・・。
決してそういう上下関係文化を否定しているワケではないけれど、行き過ぎた場合は、先輩が後輩を暴行したというようなニュース沙汰にもなりかねず・・・。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」。
上下関係は節度を持った、健康的なものであるべし。
職場で改善すべき点があり、皆がその必要を感じていたとします。
しかし、長くその職場にいる人が関わっている問題で、その人に直に改善点を指摘し、態度を改めてもらうのが必要な場合、どうするか?
日本の職場では多くの場合、不満を抱えつつも我慢し続ける、という選択がなされる、と思います。
他の人も我慢してるし、自分も我慢すればいい、変にことを荒立てて、長く職場にいるあの人に睨まれたり、恨まれたりしたらイヤだし・・・と。
そういう職場は・・・風通しの悪い、硬直化した組織になっているでしょうね。
正直、生産性・効率性も高くはないでしょうし、これから先、その硬直化した組織が、社会に対して大きく豊かな価値を提供していくこともムズかしいでしょう。
そこに居続けることが時間(労働時間)を売ってお金(給料)を得ることだけにしかメリットがなくなっている、としたら・・・。
プライベート(就業時間)まで付き合う必要はない、でしょう。
非常に時間が勿体無い、と思います。
「付き合いの悪いヤツ」「協調性のないヤツ」とレッテル貼られても、会社の行事・飲み会などに参加したくないのであれば断り、空いた時間でネットビジネスやるなり、自分に投資する勉強時間にあてたりするほうが、自分自身のためになります・・・と、わたくしめは思うのでございます。
真っ当な大人になってない人・仕事のできない人・中身が薄くて軽薄な人・・・ほど、上司・先輩風ビュ~ビュ~と吹かせてるのは・・・何で?