いつもと違うのだめもどき ~冤罪事件に思う~

   

昨日、フジテレビの「奇跡体験アンビリーバボー」で、終戦後の静岡県で起きた、一家四人殺人・死刑冤罪事件を取り上げていた。

この事件は、事件発生の地名から「二俣事件」と呼ばれている。
事件発生時刻にアリバイがあった少年が、ある警察官によって犯人に仕立て上げられ、逮捕された。
少年のアリバイを自ら知る捜査本部にいた山崎刑事が、相当の覚悟を持って警察に対する内部告発を行ったが、少年は釈放されず、死刑判決が確定。
しかも、山崎刑事は偽証罪で逮捕された。

のち、山崎刑事は精神障害の診断を下され、偽証罪は無罪、となったが、警察からも追われ、運転免許も取り上げられ、生活は困窮。
しかも、ご家族も偏見の目にさらされ、大変な苦労を強いられ、あまつさえ、放火の疑いまで掛けられる有様。

その後、少年は無実を訴え上告し、最終的に無罪判決を勝ち取り自由の身、となったが、逮捕から実に7年以上、自由を奪われていた。
この事件は、戦後初の、冤罪による死刑判決を覆した事例として知られているとのこと。
一方、山崎刑事は、名誉を回復されないまま、事件後数十年を経て、この事件に関する書物を自費出版したのち、その生涯をとじた・・・。

なぜ、無実の少年が犯人に仕立て上げられたのか?
当時、静岡県警には、K警部補(番組中は仮名で岡本警部補)という、捜査のエース、と呼ばれていた敏腕刑事がいた。
しかし、この警部補は、拷問で自白を強要し、数々の冤罪事件を発生させてしまった、という恐ろしい刑事でもあった。

自らが手柄を立てるために、目を付けた少年を犯人に仕立て上げたのだ。
しかも、事件発生直後に事件現場に駆け付けた山崎刑事が報告した、「犯人しか知り得ないような事実」を指摘した事件現場に現れた不審な男についての情報は無視しただけでなく、その男から金銭を受け取っていた、らしい。(山崎刑事の著書による)

事件当時の警察には、拷問による自白の強要がありふれたことだったのだろうか・・・?

四大死刑冤罪事件、と呼ばれる、免田事件・財田川事件・島田事件・松山事件が、この二俣事件と同じ時期(昭和25年~30年の間)に発生しているのは、単なる偶然とは片づけられないだろう。
ちなみに、この4つの事件のうち、島田事件の捜査にあたった刑事の一人が、先述のK警部補であった。
また、現在も再審請求の続いている袴田事件の取り調べにあたった刑事に、このK警部補の部下がいたという話もある。

実は、夫の祖父(夫と知り合った当時、既に故人)は、この二俣事件発生当時、某都道府県警の刑事として、警察に奉職していた。
当時の警察のことについて、直接話を聞く機会は永遠にない・・・。
もし、彼がこのオンエアを見ていたら、はたして一体どんな感想を述べたであろうか・・・。

ある事件について、警察発表と違う見解を、ふと家族に漏らしたことがあったそうだ。
(彼の名誉のため書き記しておくが、無実の人が犯人に仕立て上げられた類の事件ではない)
彼も、もしかしたら山崎刑事のように、声を大にして「違う」と言いたかったが、家族のことを考えて思いとどまったのかもしれない・・・。

正義を貫き、真実を告発した先に待ち受ける出来事。

その代償は、あまりにも凄惨な事態・・・。
山崎刑事のように、警察を追放され、精神障害者の烙印を押され、生活に困窮する・・・。
失うものの大きさに怯え、自分の意見を押し殺すとこは、残念ながらよくあること、でもある。
二俣事件当時、真実を告発しようとして、怯え、自分の腹の中にしまいこんだ事例は、他にも警察内部であったのではないだろうか・・・。

そんなことを考えつつ、「奇跡体験アンビリーバボー」を見終えた。
バラエティー番組を見た後、とは思えないほどの精神的疲労感に襲われてしまった・・・。

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