御巣鷹の尾根に123便が墜落してから、今日で31年目。
事故の起きたあの夏、テレビではコックピットボイスレコーダーから、
高濱機長の発言の一部分だけを取り出し、クルーを糾弾していた。
「これはもうダメかもわからんね」という言葉。
当時のマスコミは、機長が操縦を投げ出したような、無責任な発言と捉え、
騒ぎ立てているような印象を、私は抱いていた。
しかし。
事故を20年以上追い続けたジャーナリストが入手したコックピットボイズレコーダーの音声を、
他のコックピットクルーに聞いてもらったところ、その発言の前にスイッチを押す音がしているとのこと。
もしかしたら、機器の再起動か何かを試みて、「これはもうダメかも」と発言したのかもしれない。
あるいは、何年か前にフジテレビが製作した特番で、1985年8月12日午後18時以降、
埼玉県秩父地方に積乱雲が発生していた事実を報道していた。
羽田空港に引き返そうとしていたけれど、そこまで戻れないことも想定し、
横田基地への緊急着陸も考えていた、123便。
山梨、埼玉。長野、群馬、神奈川にまたがる山岳地帯上空から、横田基地を目指そうとして、
秩父上空に広がる、巨大な積乱雲が目に入ったとしたら。
航空機にとって、積乱雲は大敵である。
絶望的な言葉が思わず出てしまったのかもしれない。
気象庁のサイトで過去天気を調べると、1985年8月12日、午後6時から7時の間、
秩父で1時間に50ミリ以上の激しい雨が降っていたのがわかる。
しかも、秩父に近い、飯能では小雨。
所沢では、雨さえ降っていない。
局所的に秩父で、激しい夕立があったのだ、と考えられる。
発言には必ず、理由がある。
中には、衝動的で理由がないものもあるかもしれないけれど。
なぜ、そういう言葉が出たのか?
それを考えずに批判するのは、感情的な対応しかできないだろう。
コックピットボイスレコーダーに残る、高濱機長の最期の言葉は、
「アタマあげろ、アタマ!」だった。
アタマ、とは機首のこと。
最後の最後まで、機体をなんとか飛ばそうと、123便のコックピットクルーは奮闘していたのだ。
当時、なぜこの言葉がマスメディアで取り上げられなかったのか。
また、墜落地点はなぜ、二転三転したのか。
それらを考え始めて、もう30年以上、経ってしまった。
これからも、私は考え続ける。
明確な答えは得られないかもしれないけれど。
この事故を知らない世代が増えている。
でも、決してこの事故は、忘れ去られてはならない。
毎年、強くそう思う。
8月12日。