「御巣鷹の謎を追う」に、思うこと~いつもと違うのだめもどき~

   

今日は広島に原爆が投下された日。
3日後の8月9日は長崎に原爆が投下された日。
さらにその3日後の8月12日は御巣鷹に日航123便が墜落した日。
そして・・・その3日後の8月15日は終戦記念日。

8月上旬は、悲しい記憶に満ち溢れている。
広島・長崎に親戚がおらず、終戦後何十年かして生まれた私にとって、上記4つの事象のうち直接関わりを持つのは8月12日の日航機123便墜落だ。
あの便には、当時私が在籍していた学校の同期生が搭乗していた。
新聞の登場者名簿に知った名前を見つけた時の衝撃・・・。

事故発生当日、日航機行方不明、と第一報が報道された後、墜落地点はなかなか特定されず、迷走した。
ニュースを見ながら、「何でこんなに時間がかかるんやろ・・・」と疑問を抱いていた。
墜落地点が特定されたのは、事故発生から10時間以上経過した、翌日の午前5時半過ぎだった。

何故、墜落地点の特定にそれほどまでに時間がかかったのか?
もっと早く現場を特定できていれば、生存者ももっといたのではないか?
何故、事故発生原因である、日航機の垂直尾翼を相模湾から一部のみを回収し、すべてを回収しなかったのか?

ナショナルジオグラフィックチャンネルの人気番組「メーデー」を見ると、相模湾よりも深い海域に墜落した旅客機の事故では、回収が難しい場合、事故原因に関わりが深いと思われる残骸を重点的に回収する・水中写真を何千枚も撮影する、などして事故原因特定の手がかりにしている。
何故、水深200~300mの海域の相模湾で。垂直尾翼を全て回収しなかっただろう?

この事故には不可解な点が多すぎる。
そのため、事故原因を巡って様々な憶測がなされてきた。
荒唐無稽なものも中にはあったけれど。

ここに、1冊の書籍がある。
事故発生当時、共産党系の新聞「赤旗」の記者で、事故後もずっとこの事故の取材を続けた米田氏による著作だ。

御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年- <DVD>/宝島社
¥1,985
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米田氏は廃棄されようとしていた事故機のコックピットボイスレコーダーのコピーを入手、このソフトカバー本に123便の飛行経路・垂直尾翼を失い迷走状態に陥った機体の状態をCGで再現し音声に合わせ、DVDにしてこの本の付録にした。
文庫本にもなっているが、できればDVDの付いた状態の古本を入手してコックピットの音声を聞いて欲しい、と思う。

事故後、コックピットボイスレコーダーの音声の一部が公開された。
高濱機長の「どーんといこうや」という言葉がクローズアップされ、一時期「事故原因は機長の操縦ミス」というムードが醸成されていた。
しかし、コックピットボイスレコーダーに残された高濱機長の最期の叫びは、「アタマ(機体の機首)あげろ、アタマ!」だ。
コントロールを失った機体を何とか制御しようと、最期の一瞬まで奮闘した姿が目に浮かぶ。
事故当時、この最期の叫びは公開されていない、と記憶している。
何故、公開されなかったのだろう・・・?

米田氏の著書は非常に重要な証言を収録している。
元米空軍中尉、アントヌッチ氏による事故10年後に明かされた証言だ。
アントヌッチ氏は当時乗務していた米空軍機で、事故当日の午後7時20分に、日航123便の墜落地点を特定し、上空を旋回して海兵隊の救助ヘリの到着を待ち、救助に当たろうとしたところ、日本の救援機が向かっているから引き返せ、という命令を受け、午後9時20分には、日本の救援機(管制からの連絡によるもの)も現れたので、横田基地に引き返した、と証言している。
これで日本側の救助活動が始まる、と帰還したのに、翌朝の新聞が墜落現場の特定に困難を極めた、という記事で溢れかえっているのを見て愕然とした、とアントヌッチ氏の証言は続く。
そして、アントヌッチ氏は事故翌日、「この件については何も話すな」と言われ、横田から沖縄の基地に任務で行くことになる。
アントヌッチ氏のこの10年目の証言にある、「午後9時20分に墜落現場上空に現れた日本の救難機」は一体、なんだったのだろう?
これが日本のものであれば、現場の捜索・救助活動はもっと早くから行えたはずだ。

何故、捜索・救助活動はこれほどまでに遅れたのだろう?
また、捜索・救助活動に加わった、一帯の山を知り尽くした地元猟友会のメンバーの「墜落地点はスゲノ沢だ」という進言は何故聞き入れられなかっただろう?
スゲノ沢は4人の生存者が発見された場所であり、事故後自分たち以外の生存者がいた、と証言した地点でもある。
米田氏の著書には地元猟友会メンバーの「スゲノ沢だから早く行くべきた、と言った時に行っていればもっと助けられた」という証言や、遺体収容を援助した医師たちの「発見が10時間早かったら、もっと多くの生存者を発見できた」という証言も紹介している。
これらの事実を、我々はどう受け止めればよいのだろう?

この事故には不可解な点があまりにも多すぎる。
捜索・救助活動が遅れたことも加え、事故原因は再調査されるべきではないのだろうか。

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