人は、2度死ぬ。
1度目は、肉体が滅ぶとき。
そして2度目は、その人の存在が、人々の記憶から消え去るとき。
その人のことを、誰も思い出さなくなったとき、人は2度目の死を迎える。
そういう意味で考えると、歴史に名を遺した人は、永遠に生き続けている、と言えるかもしれない。
3年前。
春ごろから、やたらとある人のことが気になって仕方なかった。
「今どうしてはるんやろう」
「元気にしてはるんやろうか」
共通の知人から、「元気に仕事してはる」と聞かされ、
ほっとすると同時に、「それなら、なんでこんなに気になるんや」と、
何かが気になって仕方がない。
なんでや。
おかしいやん。
胸のざわめきが収まらない。
収まらないそれが、無性に不安を掻き立てる。
そんな思いを抱えつつ、夏を迎えたころ。
夢にその人が出てきた。
二人で、春の陽だまりの中で、のんびりと会話を交わしている、そんな夢。
私の他愛もない話を、ニコニコと聞いていて、良い眼科医に巡り合い、
視力が劇的に回復したと伝えると・・・。
「良かったな」と、さらに目を細めてニコニコと笑った。
そこで、目が覚めた。
妙に鮮明な夢。
「なんやったんや、今の夢・・・」
春から続いていたざわめきとその夢が、さらに不安を掻き立てる。
何か、あの人にあったんやろうか?
いや、でも・・・元気にしてはる、と聞いてるし・・・。
ひたすら、不安を打ち消しつつ、日常を送った。
秋を迎えたばかりの頃。
ひとり、自宅で本を読んでいた。
私の傍らには、まだ子猫だった、シャアとセイラ。
時刻は、午後2時を過ぎたくらい。
その時。
ふわっとタバコの残り香が、香ってきた。
「え?!なに?!」
我が家は、マンションの10階以上に位置している。
窓は閉めている。
家の中には、私と2匹の子猫しかいない。
そのタバコの残り香が香ったのは、ほんの一瞬。
窓も開けていない、もちろん私は吸わない。
常識的に考えて、タバコが匂うはずがない。
でも、幻ではない。
確かに、ふわっと香った。
春からのざわめき、夏の鮮明な夢、秋のタバコの残り香。
「あの人に、やっぱり何かあったんちゃうか」と、不安がさらに掻き立てられた。
その翌日。
その人の訃報が届いた。
亡くなったのは、私が夏にその人の夢を見た日だった。
その人は愛煙家だった。
そして、他人に気を使いすぎるくらい、気を遣うヒトでもあった。
気を使いすぎて、相手に「そこまでお気遣いさせてしまって・・・」と、
かえって恐縮させてしまうような、そんな失敗もしてしまうような人。
私がタバコを嫌いなのを知っていたので、同じテーブルについているとき、
タバコに火をつける前に必ず一言「吸うよ」と断りを入れていた。
「あ、じゃあその間、席を離れてるね」と返すと、「そこにいなよ」と言いつつ、
私の方に煙が流れたりしないよう、せっせと手で煙を払いのけながら、吸っていた。
本当は、気兼ねなく吸いたかっただろうに。
余談だけれど、愛煙家にこんな風にされていたので、
「吸ってもいいですか」も聞かずにタバコに火をつけるタバコのみが嫌いになったに違いない。
その人のことは一度も「タバコ臭い」と思ったことはなく、
その匂いをむしろ、髪や服からふわっと香るタバコの残り香、として認識していた。
大人の男の色香、ってこういうものなのかな、と思いつつ。
相手に好意があるかないか、でこんなにも認識は変わるんやな・・・。
書いていて、改めてそう思う。
そんな気遣いの人だったので、もしかしたら、「俺の訃報、明日届くけど、驚くなよ」と、
私の読書中に、あの頃のようにふわっとタバコの残り香を立たせたのかもしれない。
今日、3月14日はその人の誕生日。
「アインシュタインと同じ誕生日なんだよね」と、言っていた。
亡くなった人の年を数えるのは不毛なことだけれど、
生きて元気だったら今年で・・・とふと思う。
その人を知る人達の心の中に、その存在は生き続ける。
私の中にも。
今日が誕生日だったからなのか、また最近やたらとその人を思い出す。
もしかしたら、最近のよろしくない状況を心配してくれているのかな。
「お前、もっとちゃんと生きろよ」そんな声が聞こえてくる。
いいでしょう、今日くらい。
誕生日だし。
たまには、感傷的でもいいじゃない・・・。