土曜日、セミナーの帰り道。
なぜか無性に本屋に寄りたくなり、ふらふらと立ち寄る。
なんやろう?
何かが、本屋に立ち寄れ、とささやく。
ターミナル駅に隣接する、大手書店へ。
そしてまた、何かに吸い寄せられるように、普段はあまり覗かない書棚の前に立つ。
その時、視界に飛び込んできた背表紙の文字。
タイトルに、身内の名前が。
書籍のタイトルにあったのは、私の義理の祖父の名前。
私には、父方と合わせると、計3組、合計6人のジジババがいる。
母は実の父親の従兄弟の養女でもあった。
なかなか、複雑な生い立ち。
ある学芸員が、義理の祖父の研究をしているのは知っていたけれど、
その研究成果を、1冊の書籍にまとめて、上梓していたのは、不覚にも知らなかった。
迂闊ともいうべきか。
書籍を迷うことなく書棚から抜き出し、レジに向かう。
帰宅する電車の中で読み始める。
ふむふむ・・・。
本を読むのは早いので、土曜に手に入れて、もう読み終わった。
身内の目からではない、アカの他人の視線で研究された、
研究対象としての、義理の祖父。
私が知っている姿とは違う、義理の祖父の姿がそこにあった。
そうか。
この書籍の著者が義理の祖父と面識があるかどうかわからないけれど、
研究対象として資料にあたり、生前を知る人から聞き取り調査し、
描き出すとこうなるのか。
興味深い書籍。
学生時代、史学科に在籍し、美術史を研究していた私。
明治、大正、昭和初期に活躍した、数多の画家の伝記や評伝はよく読んだけれど、
それらの書籍を、彼らの身内が読んだ時の気持ちは、
今の私の気持ちに近いのかもしれない。
そこに描かれているのは、パブリックイメージ。
プライベートとは全く違う。
ごくごく、当たり前のことだけれど。
調査するにあたって、資料が過不足なく揃う、ことはないから、
読んでいて、それはちょっと違うんじゃないかな、と思うことも。
研究成果を文章に纏める時、気をつけるべきポイントは、
資料や証言を、自分の考えに合うように、取捨選択し、
自説の補強に都合よく利用してしまうこと。
その他に残念だったのは、校正が甘かったのか、誤字がちょくちょくあったこと。
版を重ねるときには、誤字直して欲しい。
資料が少なかった時期のことは、なんとなく端折った感じもあった。
その当時の仕事について、出版社気付けで著者宛に情報提供しようか、と思ったけれど、やめておこう。
もしかしたら、意図的にはしょったのかもしれないし。
フラフラと本屋に私を導いたのは、この書籍だったのか、
それとも、魂か?
来月、お盆だから、魂かもしれない。