日別アーカイブ: 2013年3月16日

第3の ファティマの預言 内容は・・・?

              

今夜はWOWOWで「SPEC 天」を観ました、わたくしめ。
モチーフに「ファティマの預言」が使われていて、ちょっとドッキリ。

つい先日、全教皇ベネディクト16世が退任し(存命中退任)、短期間だけどローマカトリックの教皇が不在、という事態が生じていましたね~。
ローマ教皇は枢機卿の中から選挙で選ばれるのですが、その選挙の名前がコンクラーベ。
思わずダジャレで根比べ、と言いたくなってしまうほど、新教皇が選出されるまでの投票回数は多くなるそうでございますよ。

さて・・・。
ここで、ルパン三世にも確か使われたことのある、「ファティマの預言」の話。
1917年に、ポルトガルのファティマに聖母マリアが現れ、3人の少女に3つの預言を授けたのです。

その第一の預言は「死後の地獄の実在」
第二の預言は「第一次世界大戦の終結と第二次世界大戦の勃発」
そして第三の預言は・・・。

これまで、教皇庁によって秘匿されてきました。
この第3の預言だけは1960年になるまで公表してはならない、と聖母マリアに言い渡されていたからです。
ところが、1960年以降も教皇庁はこの預言の内容を公表しなかった。
そのため、「第3次世界大戦の勃発を預言しているのでは?」とか「人類の滅亡を預言しているのでは?」とか色々憶測が飛び交っていたのですね。
前々教皇のヨハネ・パウロ2世が銃撃され、重傷を負った事件を、教皇庁は「この事件こそがファティマ第3の預言である」と発表しましたが、はてさて・・・。

1960年代にこの預言記録を閲覧した教皇ヨハネ23世、その次のパウロ6世はあまりの内容に卒倒してしまい、預言を封印したんだとか・・・。

閲覧した教皇二人がそれほどのショックを受けた内容。
いったい、どういうものだったんでしょう・・・。

数多くの憶測の中には、「イタリア人からローマ教皇が選ばれなくなる」というものだったのではないか、というものがあります。
歴史的に例外もありますが、代々ローマ教皇はイタリア人枢機卿の中から選出されてきたのですね。

実際、パウロ6世の逝去後に就任したヨハネ・パウロ1世はヴェネチア大司教も勤めたイタリア人。
貧しい出自ながら教会内で出世し、ローマ教皇まで上り詰めた清廉潔白な人でしたが、教皇庁内部の不正・腐敗を正そうとしたのがアダになり、就任わずか約1ヶ月で暗殺されてしまった、という噂があります。(ホントかどうかわからないけれど)
実は・・・近年のローマ教皇でイタリア人だったのは今のところこの方が最後、なのです。
それ以来、イタリア人がローマ教皇の座についたことはないのでございます。

ヨハネ・パウロ1世の次に就任したヨハネ・パウロ2世はポーランド人。
ヨハネ・パウロ2世の次に就任したベネディクト16世はドイツ人。
ベネディクト16世の退任を受け、新たに選出された新教皇、フランチェスコ1世は・・・アルゼンチン人。

このことを考えると・・・。
ファティマの第3の預言は複数の内容を持つもので、そのうちの一つが「イタリア人からローマ教皇が選ばれなくなる」というものだったのかもしれないな~、とフランチェスコ1世の顔写真を新聞で拝見しながら、ぼんやり思ったばかりだったのでございますよ。

そりゃ~。
「SPEC 天」の冒頭観てギョッとするのもしゃあないやん~。(と居直ってみる)
これって・・・もしかして、シンクロにシティ?
なわけないか・・・。

そのうち、日本人枢機卿がローマ教皇に就任する日が来るかもしれないなぁ・・・。

映画「メモリーズ・コーナー」に見た文化の違い ~いつもと違うのだめもどき~

              

*ネタバレ含みます。未見の方はご注意ください!

王様のブランチでオドレイ・フーシェ監督のインタビューを聞き、「フランス人は幽霊を信じない」という発言にちょっとびっくりした私。
同じ西ヨーロッパ人でも、ドーバー海峡を超えたイギリスでは幽霊の存在は信じられているので、随分違うんだな・・・と驚いた。

「メモリーズ・コーナー」は阪神淡路大震災と孤独死をモチーフに、「愛」をテーマにした映画である。

映画の冒頭、復興住宅で孤独死した人が発見され、収容される。
阪神淡路大震災から15年を経た年、各国のジャーナリストがそれぞれの取材テーマを模索しつつ来日し、神戸にやってくる。
ひとりひとりに専属の通訳が付く。フランス人女性ジャーナリストのアダには西島秀俊扮する岡部がつく。
彼らは被災者の取材をするため、復興住宅を訪れそこで阿部寛扮する石田に出会う。
石田はアダに「なぜ地震が起きるか知っているか?」と尋ねる。

岡部は石田に異様なものを感じるが、アダは石田に強い興味を抱き、惹かれていく。
そんなアダを心配し、忠告する岡部。
実は岡部には心霊体験があり、石田が既にこの世の者でないことを悟り、アダに「亡霊に魅入られることの危険性」を忠告をしていたのだが、この記事の冒頭に書いたように幽霊を信じないフランス人であるアダはその忠告に耳を貸さず、石田との接触を続ける。
そんなアダも、六甲山の山頂で会話を交わしていた石田が眼前から消えたことで、石田が既にこの世の者でないことをようやく受け入れ、岡部の誘いで震源地であり、岡部の実家のある淡路島に赴く。
そこに石田が現れ、アダに「あなたにこれを見せたかった」と、ある光景を見せる・・・。
それこそが、「メモリーズ・コーナー」。

死者(亡霊)が愛を最後に残す、というロマンティックな考え方に、幽霊を信じないフランス人の女性監督らしい作品だな・・・と思う。

石田は自分がこの世の者でないことを自覚していながら、アダの前に現れる。

来日前に、自殺未遂をしたアダを心配して現れたのか・・・?
それとも、同じジャーナリストであるアダに「メモリーズ・コーナー」を見せたいがために・・・?

オカルトチックなことを書くと、私は霊感持ちなので、亡くなったことに気づかず死後もさまよう亡霊の描き方としてはM・ナイト・シャラマン監督の「シックス・センス」の描き方の方が私自身の体験してしまったものに近いと言える。
往々にして、亡霊はこの世に未練や執着を残し、この世をさまよい、時には生者に仇をなすものとなる・・・。
この死者の表現の違いは東洋人と西洋人の文化・死者に対する考え方の違いの現れなのだろう。

事前に予想したとおり、震災の映像は今でも観ていて辛かったけれど・・・。
六本木で上映されている間に、もう一度観に行こう、と素直に思う、しみじみとした味わいの映画だった。

ただ・・・。
兵庫県に本籍地を持ち、身内が何人も阪神淡路大震災で被災している私個人の考えだけれど・・・。

断層に悲しい思い出を持ち込むのではなく・・・。

もう二度とあんな恐ろしい大地震が起きないよう、阪神淡路大震災の犠牲者が、愛されたり大切にされたりした記憶を、断層を鎮めるために持ち込んでいるという「メモリーズ・コーナー」にしてほしかったな、と思う・・・。