日別アーカイブ: 2016年8月12日

今日で31年目。

              

御巣鷹の尾根に123便が墜落してから、今日で31年目。

事故の起きたあの夏、テレビではコックピットボイスレコーダーから、
高濱機長の発言の一部分だけを取り出し、クルーを糾弾していた。

「これはもうダメかもわからんね」という言葉。

当時のマスコミは、機長が操縦を投げ出したような、無責任な発言と捉え、
騒ぎ立てているような印象を、私は抱いていた。

しかし。

事故を20年以上追い続けたジャーナリストが入手したコックピットボイズレコーダーの音声を、
他のコックピットクルーに聞いてもらったところ、その発言の前にスイッチを押す音がしているとのこと。

もしかしたら、機器の再起動か何かを試みて、「これはもうダメかも」と発言したのかもしれない。

あるいは、何年か前にフジテレビが製作した特番で、1985年8月12日午後18時以降、
埼玉県秩父地方に積乱雲が発生していた事実を報道していた。

羽田空港に引き返そうとしていたけれど、そこまで戻れないことも想定し、
横田基地への緊急着陸も考えていた、123便。

山梨、埼玉。長野、群馬、神奈川にまたがる山岳地帯上空から、横田基地を目指そうとして、
秩父上空に広がる、巨大な積乱雲が目に入ったとしたら。

航空機にとって、積乱雲は大敵である。

絶望的な言葉が思わず出てしまったのかもしれない。

気象庁のサイトで過去天気を調べると、1985年8月12日、午後6時から7時の間、
秩父で1時間に50ミリ以上の激しい雨が降っていたのがわかる。

しかも、秩父に近い、飯能では小雨。
所沢では、雨さえ降っていない。
局所的に秩父で、激しい夕立があったのだ、と考えられる。

発言には必ず、理由がある。
中には、衝動的で理由がないものもあるかもしれないけれど。

なぜ、そういう言葉が出たのか?

それを考えずに批判するのは、感情的な対応しかできないだろう。

コックピットボイスレコーダーに残る、高濱機長の最期の言葉は、
「アタマあげろ、アタマ!」だった。

アタマ、とは機首のこと。

最後の最後まで、機体をなんとか飛ばそうと、123便のコックピットクルーは奮闘していたのだ。

当時、なぜこの言葉がマスメディアで取り上げられなかったのか。

また、墜落地点はなぜ、二転三転したのか。

それらを考え始めて、もう30年以上、経ってしまった。

これからも、私は考え続ける。
明確な答えは得られないかもしれないけれど。

この事故を知らない世代が増えている。

でも、決してこの事故は、忘れ去られてはならない。

毎年、強くそう思う。

8月12日。