最大の セールスポイント 見えてない?!〜浜松の中のブラジル〜

              

誰にでも、何かしら強みがある。
チャームポイント、というか、セールスポイント、というか。
でも、自分の中にある、その強みに、自分自身で気がつくことは難しい。
客観的に自分を見るのが難しい、のもあるけれど、
「こんなん、強みになるん?」と、他者から見た自分の強みに無頓着で、
正当に評価できないから、かも。

なんで、こんなことを書いているか、というと。

今日、Twitterで、WEBマーケティングのコンサルである、
永江一石さんが、こんなことを呟いていたから。

「浜松市って本当にモッタイナイ。
街中ブラジリアンばっかりでブラジル食材のスーパーとかブラジリアンばっかりのカフェとかたくさんある。
リオのオリンピックも間近だから、日本に居ながらブラジル気分のアピールやったら日本中からかなり集客できると思う。
ブラジル遠すぎて行けないもん。」

その呟きを眺めていて、永江さん、以前にブログでも書いていたなぁ、と思い出す。

浜松は我が亡母の故郷。

私が物心ついた頃はもう、街中にブラジル人がいっぱいいた、と記憶している。

今では、 ブラジルの食材を扱うスーパーがあり、レストランがあり、
小学校や中学校には、1学年に(いや、もしかしたら1クラスかも)ひとりくらい、
ブラジル人の子がいて、在浜松ブラジル総領事館があり、ブラジル銀行濱松支店まである。

永江さんがつぶやいていたように、ブラジルで開催される、
ワールドカップとかオリンピックに合わせて、観光客を誘致する動きがないのは「モッタイナイ」。
そんな風に映るやろうなぁ。

なぜ、浜松市は、観光資源として、街中がブラジルブラジル・・・していることを活かさないのか?

それはおそらく、「それが観光資源になるかも」なんて、考えていないから。

もともと、静岡県は日本のブラジル、と言われている。
特に盛んなのは、静岡県中部、藤枝市、清水市(現静岡市清水区)のあたり。
明治時代に、藤枝東高校(ゴン中山隊長母校)の前身の旧制中学が、
体育にサッカーを取り入れ、それが広まったから。

学校の合併でなくなってしまったけれど、Jリーガー養成校とまで言われた、
清商(清水市立商業高校)なんて、ブラジル人コーチ、招聘していたし。
今では、日本のサッカー人口も増え、全体のレベルが上がったので、
静岡一人勝ち、状態はなくなったけれど。

もともと、サッカーが盛んな静岡県内で、サッカー部を持っていて、
大規模工場を持っている企業は、静岡中部ではなく、西部の遠州地域に存在していた。

高度成長期以降、工場労働者として、出稼ぎで日本にやってきた日系ブラジル人。

彼らが遠州に引き寄せられたのは、一つには静岡が日本のブラジル、
と言われたサッカーどころであり、遠州では本田技研とヤマハ発動機の2社が、
天竜川を挟んで、サッカーでにらみ合っていたのも作用しただろう。
ちなみに、この2社の対戦、天竜川対決とか呼ばれていた。

40年以上前のこと、彼らの母国の国技であるサッカーとはレベルが全く違ったろう。
それでも、「おらが会社のサッカーチーム」を観戦・応援するのは、楽しかったはず。

その他に、よそ者である、和歌山出身の山葉寅楠(ヤマハ創業者)の起業を受け入れる、
遠州人の大らかさ。
気候も穏やか、食べ物は美味しい。
物価も首都圏よりずっと安く、生活しやすい。

こうした条件が重なり、最初期に来た日系ブラジル人を頼って、その友人、知人、親戚が来日する。

そうして、どんどん浜松に、日系ブラジル人が増えていき、どんどん浜松に溶け込んだ。

今では、日常に当たり前のように溶け込んでいるので、それが他地域の人から見たら、
物珍しく見え、観光資源になるかも、なんて考えられないくらい、
すっかり日常化してしまった。

自分にとっての当たり前のことが、他人から見たら凄いこと、だったりする。

自分には強みになるようなものなんて何もない、なんて諦めムードになる前に・・・。

もう一度、じっくり考えてみるべし。
自分の中に、「浜松の中のブラジル」みたいなもの、見つかるかもよ。